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從「ハ」和「ワ」的變化追溯「馬鹿」的語源

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歴史的仮名遣い が廃されて現行の仮名遣いに改められて以來、音の表記 や送りがな のたぐいは、話し言葉とほとんど変わりのないものとなった。「どぜう」あるいは「どぢゃう」は「どじょう」となり、「たふれる」は「たおれる」となった。そんな中で、「は」行に屬する「は」と「へ」のみは、昔のままに使われ続けている。

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自舊制假名用法改爲現行假名用法以來,讀音的標示和送假名等幾乎變得和口語一樣了。「どぜう」或是「どぢゃう」變成了「どじょう」,「たふれる」變成了「たおれる」。在這之中,只有屬於「は」行的「は」和「へ」還和以前一樣被繼續使用着。

「は」行の音がもともとは脣音 として、fa fi fu fe foと発音されていた。それが現在のような形に定着したのは、徳川時代以降のことだと思われるが、その転化の過程には興味深い現象が読み取れる。日本語における脣音の変遷である。

「は」行音原本都是脣音,發音爲fa fi fu fe fo。普遍認爲是德川時代以後才以現在的形式固定下來,但這個轉化過程可以看出一個很有趣的現象。是日語中脣音的變遷。

脣音とは両脣の接觸によって生ずる音のことで、現代日本語においては、「ま」行、「ぱ」行、「ば」行の音がそれに該當 する。「ま」行の音は、有史以來の日本語に備わっていたと思われるが、「ぱ」行と「ば」行の方は、奈良時代の頃まではなかったらしい。そのかわり、現在では脣音とはいえない「わ」行の音が、古代においては脣音であった。英語のwの音を連想すれば、古代の「わ」行の音がどんなものであったか、察することができると思う。

脣音是由於雙脣的接觸而發生的聲音,所以在現代日語中,「ま」行、「ぱ」行、「ば」行音都屬於脣音。一般認爲「ま」行音是自古以來就存在於日語中的,而「ぱ」行和「ば」行音貌似是從奈良時代以後纔出現的。但是,現在算不上是脣音的「わ」行在古代曾是脣音。我想如果聯想英語中的w音,就可以推測出古代的「わ」行的音是什麼樣的了。

古代の「ま」行、「は」行、「わ」行を比較すると、両脣の密着 度は「ま」行がもっとも強く、「わ」行がもっとも弱い。「は」行はその中間で、軽くすぼめた両脣の間から空気をはき出すようにして発音したと思われる。ところが、この音について、脣を用いることがだんだんと弱くなって、その結果次第に「わ」行の音に近づいていったのではないか。つまり「は」は「わ」となり、「へ」は「ゑ」と重なる時期があったのだろうと推測されるのである。「は」行の音はさらに変化を重ね、ついに現代の音になったのであるが、「は」と「へ」の用法に殘るような、「わ」行との親近性をいまだに保ち続けている。

比較古代的「ま」行、「は」行、「わ」行可知,「ま」行的雙脣貼合度是最強的,「わ」行是最弱的。「は」行排在中間,是從輕輕合攏的雙脣間吐出空氣而發出的聲音。但是隨着這個音越來越少的使用嘴脣發音,所以才變成了和「わ」行相近的讀音了吧。總之我們推測「は」變成「わ」是和「へ」變成「ゑ」同樣的時期吧。「は」行音再經過變化,最終變成了現在的讀音,正如「は」和「へ」的用法被保留下來一樣,「は」行和「わ」行直到現在還保持着親近性。

一方「わ」行の方も脣を用いることがなくなり、wa wi wu we wo のうち、wi wu we については「あ」行の i u e と異ならない音となった。

另一方面,「わ」行也變得不再用脣發音,在wa wi wu we wo之中,wi wu we變成了和「あ」行的 i u e一樣的讀音了。

かように、日本語の音韻 のうち、「は」行の音ほど劇的な変化をたどった音はない。現代仮名遣いが適用せられて後、日本語は文法構造の歴史的連続性ともいうべきものを多く失ったが、その最たる ものは「は」行の音韻を含む言葉におきている。たとえば「言う」という言葉についてみると、古語においては「言はず」「言ひたり」「言ふ」「言へ」と整然たる規則性が見られるのに対して、現代語においては「言わない」「言った」「言う」「言え」という具合に、規則性はほとんど失われるに至った。

如此一來,在日語的音韻中,像「は」行音那樣歷經戲劇性變化的音是沒有的。現代假名用法被應用以後,日語喪失了很多可以稱得上是文法結構的歷史連續性的東西,其中最有代表性的就是包含「は」行音韻在內的詞語。例如從「言う」這個詞來看,古語中是「言はず」「言ひたり」「言ふ」「言へ」,可以看出整齊的規則性。而與此相對,現代日語中是「言わない」「言った」「言う」「言え」,規則性幾乎已經喪失。

ところで、「は」行が脣音であったことの名殘として、現代の言葉にも面白い現象がいくつも見られる。たとえば、「日々」は「ヒビ」と読む。日本語においては、同じ音を繰り返すと後の音は濁音化するという法則性が見られるが、この場合「ヒ」は清音としての脣音、「ビ」は濁音としての脣音だったものが、現代にもそのまま引き継がれているのである。

可是,「は」行最後作爲脣音,在現代語言中也能看出一些有趣的現象。例如:「日々」讀作「ヒビ」。從日語中可以看出一個規則性是重複相同音時後一個音要濁化,在這種情況下「ヒ」是作爲清音的脣音、「ビ」是作爲濁音的脣音,即使在現代日語中也被原本的保留下來。

「馬鹿」という言葉なども、脣音の転化の過程の中から生まれた言葉だと考えられる。

一般認爲「馬鹿」等也是在脣音的轉化過程中產生的詞語。

學者の中には、梵語の maka に起源を求めるものもいる。つまり脣音の「マカ」がなまって、同じく脣音たる「バカ」になったとする説である。だが、柳田國男はこの言葉の起源を、日本の古代語「ヲコ」に求めた。

學者之中也有人認爲這個詞起源於梵語的maka。也就是說脣音「マカ」發訛音就變成了相近的脣音「バカ」。但是柳田國男認爲這個詞語的語源來自於日語古語「ヲコ」。

古語において、「ヲコ」は愚か者 という意味である。いまでも、ばかげたことを「おこがましい」などという用例がある。その「ヲコ」の「ヲ」は脣音であるから、同じく脣音たる「ボ」に容易に転化しやすく、「ヲコ」が「ボコ」となり、さらに音韻変化の作用によって「バカ」に転ずるのは大いにあり得ることだというのである。

在古語中,「ヲコ」表示的是愚蠢的人。直到現在還有用「おこがましい」來表示愚蠢的事的用法。這很大可能上是因爲「ヲコ」的「ヲ」是脣音,很容易就轉化爲相近的脣音「ボ」,「ヲコ」變成了「ボコ」,進而在聲韻變化的作用下轉變成了「バカ」。